上村松園と艶やかな美人画

上村松園と艶やかな美人画

時代に流されないつつしみ深い眼差しで、理想の女性の美を突き詰めた、日本の女性画家、上村松園。凛とした気高さと温もりのある女性像は、今なお見る人々の心を魅了し続けています。

この記事では、上村松園とその絵画芸術を紹介します。

上村松園と母の存在

上村松園(うえむらしょうえん)は、本名を上村津禰(つね)といい、京都に生まれ、京に育った、生粋の京女でした。

鬱やかな美人画は、京都の千年の伝統文化の中に生まれ、育まれたものといえます。松園の芸術は、京都の芸術的風土の中で、自らに厳しく課した修行を果たして生まれ、大きく開花した京の花なのです。

一途に画業と向き合い、理想の女性像を突き詰めた松園は、近代日本画における美人画の名手として不動の地位を築き、また、女流画家としても古今東西に例のない、大きな存在でした。

上村松園は、明治8年、京都の葉茶屋に生まれました。

父親は松園の生まれる2ヶ月前に亡くなってしまい、松園は母親の手だけで育てられました。

松園の母・仲子は、とてもしっかり者の立派な人で、早くから我が子の絵の才能を見抜き、周りの反対を押しきって松園を画学校に入学させました。

私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである。それで私は母のそばにさえおれば、ほかに何が無くとも幸福であった。

『青眉抄』「母への追慕」

母の仲子を彷彿とさせる作品があります。

左から《母子》1934年、《晩秋》1943年

赤ん坊を抱く健気な女性、晩秋に敗れた障子を繕う女性の姿が描かれています。

どちらも、母が亡くなった後に描かれたものです。

リアリティを持った母親像を描こうとした松園の意思がうかがえます。

上村松園の絵画芸術

松園は、15歳で華々しいデビューを飾った後、さまざまな画題に挑戦しながら3人の師匠に付き、異なった画風を身につけていきます。

必ず縮図帳をとり、良いと思ったものは次々に写しとったといいます。

21歳の時には、竹内栖鳳の門下生になり、とても熱心に、真剣に、学びました。

私は大てい女性の絵ばかり描いている。しかし、女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである。

『青眉抄』「棲霞軒雑記」

左から《蛍》1913年、《娘深雪》1914年、《桜可里》1914-15年

着物や帯の輪郭線やさまざまな模様から、松園が画風を模索する様子がうかがえます。

スランプ時期の作品

大正時代、松園はスランプに陥った時期がありました。

文部省の美術展覧会、また、新聞や雑誌による中傷、そして、彼女に後に続いた多くの美人画家、女性画家などライバルの出現によって、いつしかプレシャーを感じ、苦しめられていきました。

左から《花がたみ》1915年、《焔》1918年

《花がたみ》(大正4年)では、天王の前に現れた、恋心に支配された女性が描かれています。照日前のエピソードを元にした、狂う人の姿です。

松園は、この精神的な病を負った女性を描くため、精神病院まで取材に行ったといわれています。

また、松園が自らスランプと称した時期に、嫉妬に駆られた女性を描いたのが《焔》という作品で、困難に苦しんだ松園の気持ちが見てとれます。

しかし、負のエネルギーさえも一つの絵画芸術に変換する松園の強さもまた垣間見れるのではないでしょうか。

この制作の苦しみは、作家には決して単なる苦しみではない筈です。その苦しみは、やがてその作家にとって、無上の楽しみである筈です。

『青眉抄その後』「苦楽」

松園は、現代社会に生きる女性たちにも、力強いメッセージを与え続けています。

美人画の集大成

松園の美人画は、優美で細部に至るまで毅然とした気品に溢れています。

美しい装いをテーマとして、着物の女性の全身像を描いた作品の中でも、代表的なのが《序の舞》です。

上村松園《序の舞》1936年

また、季節折々の装いをした女性の、たおやかな身のこなしは見る人を引きつけます。

左から《待月》《牡丹雪》共に1944年

窓の欄干から夜空を見上げる女性が描かれた《待月》では、夏の紗の着物の質感がよく描かれています。

《牡丹雪》では、右の女性のふんわりした背中に、数枚の綿入れを重ねているであろうことが見て取れます。袂に入れた手で傘の柄をつかむ仕草がこの日の寒さを物語っています。

松園は、74歳の時、女性として初めての文化勲章を受賞しました。

しかしその翌年、病に倒れ、75歳の生涯を閉じました。

人の力ではどうにもならないことが――特に芸術の上で多くあるようです。考えの及ばないこと、どうしても、そこへ想い到らないことが度々ありました。そのようなときでも、諦めすてずに、一途にそれの打開策について想をねり、工夫をこらしてゆけば、そこに天の啓示があるのです。

『青眉抄』「無題抄」

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